生産者さんたちが作り出すもので、
玄米マーケット回のマフィンやおむすびは支えられています。
大きな思いや信念を抱いてもの作りを行う生産者の皆さんに
お話をうかがうインタビュー・シリーズ。
第一回目は、当店の要である玄米をご提供いただいている、
ヤーマンライス 寺口正人さんです。
一般的に社会的な安定期を迎えるであろう年齢で、
東京での生活を切り上げ、現在は福岡県うきは市に移住し、
そこで農業を中心とする生活を営む、寺口正人さん。
ご本人の思いと意思、そこにさまざまな偶然が重なる、
今に至るまでのお話をうかがって思うのは、
直感で波を捉え、それに乗るということです。
そして、肝心かつ難しいのが、
寺口さんのように捉えた波を知り、
しっかりと乗り続けることではないでしょうか。
思い出すのは、気持ち、気合いという、寺口さんの言葉。
その「気」はどこからやってくるのか?
ヴィーガン栽培での稲作を実践する、寺口正人さんにお話をうかがいました。
玄米マフィンの開発者である岩崎真希子さんがいて、ご主人の岩崎致弘さんが運営している徳島のショッピング大黒があり、玄米マーケット回では岩崎さんを通じて、寺口さんのお米を仕入れさせてもらうことになりました。さらに淡路島にある菜音キャンプのMUDOさんにも、さまざまな面でご協力いただいています。
二人も俺も、もともと音楽業界にいました。彼らはマネージメントの方だったんだけど。キャラが立っているんですよ、二人とも(笑) キャラが立っているもの同士二人が集まって、なぜか俺のことを気に入ってくれたみたいで。それで、3人で一緒に会社をやることになりました。そうこうやっているうちに、食の安全保障の話をみんなで、特にMUDOがし始めて。そして、3.11、東日本大震災が起きた。俺とMUDOが先に東京を出ちゃって、岩崎が一人で残って会社の後始末をしてくれて(笑) 頑張ってくれてたんじゃないかな、一人で(笑) それが終わって、彼は晴れて今、徳島で生活しているということですね。
寺口さんの元のお仕事は?
ディレクターをしてました。音楽の仕事って特にレコーディングとなると、夜昼逆転した生活なわけですよ。一人の時はそれでもいいけど、家族ができたらそういうわけにもいかない。その頃に、西邨マユミさん(マクロビオティックの第一人者、ヘルス・コーチ)に出会ったことが、大きなきっかけでしたね。マクロビから、食べ物や農業に興味を持ったのはもちろんなんだけど、あとは田んぼに力って書いて男だろ!っていう単純なことにも気がついて(笑) やるしかないなと。それで興味を持つようになると、日本の食の自給率がすごく低いし、これはまずい、危ないんじゃないか、ということに気がついて。国の安全保障もあるけど、自分たちが食べる食べ物、食料安全保障はどうなってるんだろう、食い物は自分たちで押さえておかないとまずくないのか、と思うようになって。そして3.11の時に、スーパーから水や食い物が一斉に無くなった。とにかく食い物は自分で押さえた方がいい。あとは東京を出て、安全圏に入りたいというのがあったので、西の方へ移動し始めて。偶然といえば偶然だけど、本当に色んなことが重なって起こりました。
安全保障なんですよね、食って。そこを国がちゃんとやっていない。フランス、アメリカみたいな自給率100%の国は食料を輸出している。だからそれを外交のカードとして使えるわけです。そうやって指針を持っている国々が、すでに食についての安全保障に取り組んでいるのに対して、日本は自給率40%を切っている。ということは、いざ何か起こったら、食べ者の6割が足りなくなる。それはもう数字を見た瞬間に分かる話。それで、自分自身の食料自給率は100%にはならなくても、せめて70~80%ぐらいにはしたいと思って。特に米があれば。江戸時代まで米はお金と同じだったし、手元にあればトレードできる。だからまず米を持っておけば死なないよね、という感じです。それでしかも、安全でおいしいものを作りたい。
「安全でおいしいものを」という部分ですが、寺口さんは現在、牛糞や鶏糞など動物性の原料を含む肥料を一切使用しない、「ヴィーガン栽培」を行われています。そこで使われているのが菜種粕、いわゆる菜種油を搾った後の油粕だけを使われていますが、他にも油粕がある中でなぜこの菜種粕だけを使われているんですか?
植物性の有機肥料で、身近で手に入るものは菜種と椿の油粕なんですよ。でも椿の油粕は田んぼに使っちゃいけないんです。水の循環がその場だけで完結するので畑では使えますけど、含まれている成分(サポニン)が魚に対して毒性があるから、田んぼで使うと生態系に影響してしまう。畑と違って田んぼには水があって水路があって、その成分が川に流れて行ってしまうから、そこに住む魚などに被害が出てしまう。だから菜種だけなんです、田んぼに使えるのは。
田んぼで使える安全な肥料をいろいろ探してたんですよね。だけど、だいたいは牛糞が入る。そしてその牛の飼育に何が使われているかというと、抗生物質とかホルモン剤ですけど、でも肥料から辿ってどんな牛なのかはトレースできない。偶然、うちの近くに平田産業という国産の菜種しか使わないという、すごい油屋さんがあるんです。そこがこの近辺の農協に油粕を出しているんです。だから行ったらすぐそこにあるんですよ(笑) 国産の菜種だけの油粕なんてなかなか手に入らないです。例えば大手だと、どの菜種を使っているかは特定できない。理由は、とにかくその時に一番安く仕入れられる菜種を使ってるから。それだと当然、遺伝子組み換えの菜種も入ってることになる。肥料として使う場合、油粕が分解された養分を作物が吸収するので、そこまで神経質になる必要はないと思いますが、お客さんの中には遺伝子組み換え反対の方も多いので、使わない方がベター。そうすると、その平田産業の菜種の油粕が、今手に入る中では一番ということです。トレーサビリティがちゃんとしていて、使っても安心、食べても安心っていう…… と、いうことで、そうしているんだけど、実際試しに入れてみたら、米の味がめちゃくちゃによくなったんですよ(笑) グンっとうま味がのったっていう理由もあります。
元々は肥料を何も使わずにやってらっしゃった?
自然栽培でやってました。レンゲ栽培っていうやり方があるんですよ。5月ぐらいに田んぼがピンクの花で埋まってるの見たことないですか? あれがレンゲソウです。マメ科なので根粒菌(マメ科の根に共生する細菌。根粒を形成する)が付いて、それが窒素を固定してくれるんですよ(土中の窒素量は作物の生育に大きく影響する)。その栽培法でやると、収量が一反あたり一俵ぐらい増えるんです。自分の経験だと、自然栽培だと4俵からもうちょっといくかなというぐらい。レンゲ栽培でやると5俵ぐらいがベースになる。ところがある年に、咲いていたレンゲが2、3日で全部無くなっちゃったんですよ。うわーっ!となって。周辺の大農家の人に「こんなことってあります?」って聞いてたら、普及センター(農業改良普及センター)に電話してくれて。普及センターは各地区で米の栽培の相談とか、農業の技術相談なんかを受け付ける出先機関なんですけど、そこからすぐに見に来てくれたんですよね。うちが自然栽培やっているというので、そのあたりも調べてから来てくれて。農政の中では珍しくそういうことに興味がある人で。
すごいですね!偶然が重なるというか。
そうそうそう。そんなもんでしょ、人生って(笑) アルファルファタコゾウムシの被害だったんだけど、その時に収穫を安定させたいんだったら、やっぱり何か資材を入れた方がいいと言われて。そうすると肥料の話になるわけだけど、「牛糞入れたくない」「鶏糞がいいんじゃないですか?」「鶏糞もやっぱりちょっと無理」「そしたら、じゃあ菜種しかないですね」ということになって。菜種粕だったら窒素量がこのぐらいだから、一反に対してこれぐらい入れるとか、いろいろと教えてもらって。そこから試行錯誤しながら毎年入れていって、で、平田産業に出会いましたね。
菜種の油粕を入れていること自体が珍しくて。とにかく、作り方が一般の農家と全然違うから、やっているとめちゃ寄って来るんですよ、人が。近所のじいさんたちが、何やってんの?って。「いや、菜種粕入れてるんですよ」って話したら、「そういえば自分が子どもの頃、うちのじいさんが自分の家の食べる分の田んぼには菜種粕入れとったな」って言ってましたね。実際それで作って食べてみると、全然うま味が違う。グーンってターボがかかっているというか、ブーストしてる感じ。やっぱりうまいんだねってことが分かったし、それでもう菜種で決まりました。
ところで今の生活はどうですか? 移住に興味のある方も多いと思います。どういった変化がありますか?
生活?(笑) 生活は、あのね!スローライフとか言うけど全然スローじゃないからね(笑) めちゃ忙しい!大変!(笑) 大変だけど、でも大変の質が違っていて。やっぱり東京の時って、大概の人は自分の思惑とは全然違う、大っきな渦の中で生きてるでしょ。そのサイクルから抜け出すのが難しい。だけどそこから離れて、まず自分たちが食べる一年分のお米が獲れたわけです。となると、他がもうどうでもいいというか。屋台骨が出来たことで、ストレスがほとんど無くなるんですよね。もう変な人間関係とか切っちゃっていいから(笑) それで太陽と共に生きてるわけですよ、朝起きて。
朝何時ぐらいに起きられてますか?
時期によるけど、今はだいたい5時とか6時。夏になったらもう4時起きとかですよ。11時までに作業を終わらせないと、気温が高くて熱中症が危ないので。早朝から始めて、できれば10時までに終わらせたい。頑張っても11時。それを越えると命の危険があるから。で、ビール飲んで、昼寝して(笑)
昼寝から起きたらどうしてるんですか? すみません、根掘り葉掘り(笑)
夕方から出動することは、もうあんまりないです。最近は3時以降も気温が危なくて、夜にならないと安全な気温まで下がってこない。それで俺、兼業だから。なので、10時、11時に農作業を終わらせて、そこから家に戻って副業の方、友達の会社の会計を手伝ったりとかいろいろしてるんだけど、事務屋さんみたいな。あと、前職からのライフワークとしてレゲエのレーベルは続けています。60年代、70年代のビンテージレゲエの再発。
人に合わせてるのではなくて、自然に合わせてるから。だからほんとストレス無いですよ。作物に異変が起きた時っていうのは、作物は間違ってなくて、自分が間違っている。あーっ!見てたけど…見逃してた…みたいなね。それで稲作は一年一作だから、もう二度とこの間違いは犯さないと自分に深く刻み込んで、来年の糧にするということの繰り返し。そう思うと大変は大変ですけどね、やっぱり。ただ、間違っているのは自分なので、反省はしますが、ストレスではないです。自然に、八百万の神々に自分の至らなさを教えてもらっているということですね。自然の法則は常に正しく作用します。間違いを犯すのは人間です。
次は来年、ということは、今から何かを取り返すっていうのは難しいということですよね。
最善は尽くしますけどね。
でもその分、サイクルが一年なので、時間の流れが大きくなるというか。
だから、会社にいると四半期ごとに数字を詰められるけど(笑) それも無い。獲れる量もだいたい決まってるし、入って来る金もだいたい決まってるから。今詰めても何も起きない(笑) 使いすぎないように気をつけないといけないですけど。新米が売れて、年末にガボっとお金が入ってくるけど、調子に乗ってそれを使いこむと後半きつくなってくるから、ちゃんと置いておいて手をつけないとか(笑) あると使っちゃうので(笑) なんか、その程度です。
うきは市は寺口さんの出身地ではないですよね?
単純に田んぼを貸してくれる所を探して、西へ西へ流れていった結果そうなりましたね。最初に言っていたように、西へ移動したのは3.11の影響で、安全圏に入りたいというのが当然あった。あとは音楽の仕事をしていた時に全国各地に行っていたので、自分の好きな場所があるわけですけど、一番好きなのは大阪なんですよ、実は。ただ大阪は、あんまり米がおいしいというイメージ無い(笑) それで更に西へ西へ。福岡に糸島という海沿いの町があって。神奈川の葉山に友達が多かったんだけど、葉山チームが先に移住してたんです。移ったみんなもお米を作りたいという気持ちがあったけど、糸島では田んぼをなかなか貸してもらえないという話だった。
今住んでるうきは市の隣に朝倉市という市があって、そこの岡部先生というマクロビの先生が(ムスビの会 岡部賢二氏)、健康指導や講座をやっていて、望診法っていうのがありますけど、人の体調の不具合とかをパッと見て分かっちゃうような方で。その頃は自分はまだ大阪に住んでいたんで、ご挨拶だけしに寄って帰ろうと思ったら、「晩ごはん一緒にどうですか?」って誘っていただいたんですよ。そうしたら、米を作りたいとか全然話したこともなかったんだけど、その時に、自然栽培でお米を作ってるおじさんを呼んでくれてたの。それでええっ!?となって、「実は自分も無農薬でお米作ってみたいんですよ」って話してみた。それまでは誰に言っても、「都会からサラリーマン辞めて来て、いきなり米なんて作れるわけないだろ」って、怒られっぱなしだったんだけど、その人が初めて「お米は誰でも作れます」って言ってくれて。そこからもうずーっと付いて回ってました。大阪に帰って、また来てみたいな感じで。
出会いがありますね。そういうタイミングで。
そうかもしれない。それで大阪から何回か通いつつ、家を探して。田んぼ付きの家が出てきたのでそれを借りて。その自然栽培をやってた方は江藤さんていうんだけど、2年ぐらい付いて回って米の作り方を教えてもらってました。バイトしながら。
最初は野菜も作ってました。ただ、野菜をやり始めると本当に他のことができなくなる。しかも多品種を育てることが出来ないんですよ、出荷ベースでやろうとすると。バーッと大量に作った方が効率いい。でもそれをやってると家庭菜園ができない。それで今は野菜の出荷はやめて家庭菜園だけにしました。お米だけで生活できるから。別に豊かでもないけど、貧しくもつつましく。要はお米で生活は成り立っているので。野菜は家庭菜園だけにして、四季折々のものを。畑にいけば何かあるという。その方がはるかに楽しいですよ。
作っていて一番楽しいものって何かありますか?
野菜は何でも楽しいですよ。おいしいから(笑) 今の時期だったらそら豆がおいしい。豆類は獲れたてがほんとにおいしい! 枝豆はもう、あれとビールがあったら何も要らなくないですか?(笑) 都会でもベランダでプランター菜園を、トマトとか簡単にできるやつをやってみるといいんじゃないかな。それで、例えばミニトマトがたくさんできたら、今度はそれをドライトマトにしてみたりとか。いろいろやってみたらいいと思いますよ。
無農薬、化学肥料無しで、今の田んぼでは何年ぐらい栽培されているんですか?
一番古いところで12年。でも田んぼは入れ替わっていくので、段々と。最初は僻地しか借りられないんですよ(笑) 耕作放棄されている所。作業性が悪いし、水も来ないしで、苦労が多いです。だから、そういう田んぼは徐々にやめて、家の近くで借りれるところがあれば借りて、家の近辺で段々と広げていく。そうやって、徐々に入れ替え入れ替えでやってきてます。でも、残留農薬とかは出ないですよ、検査をしても。栽培期間が何年というよりは、栽培方法がどうなのかですね。うちは酵素を入れたり、光合成細菌を入れたり、菌類を活用してる。
「ここは無農薬で何年目ですか?」ってよく聞かれるけど、せっかく有機農業を始めようという人たちがいるのに、それを言い過ぎるのは、自分たちで首を絞めるようなことなので。有機農業やろうという人にとって、土をちゃんとしていかなきゃいけないっていうのは、それはもう分かってることですよね。でも水路は繋がっていて、水源ならともかく、上の田んぼが使ったものは入って来ちゃうから、要はどういう栽培方法かが大事。そして気持ちがどうなのか、魂がどうなのか。長ければ長いほうがいいとは思います。ただ、最初からいい場所は借りることができないし、長年やっていくうちに段々と作業性もいい、いい田んぼを貸してもらえるようになって、徐々に徐々に整っていくから。例えば、人間の健康の何が一番大事かを突き詰めていくと、今は腸内細菌であると言われてますよね。腸の中がいかに健康かということ。健康であれば、多少のジャンクフードは腸が跳ね返すわけだから。それと一緒だと思います。
その時その場の環境を、どう整えていくかということですね。
そうそうそう。
寺口さんがストレス少なく楽しそうにお米を作り、そのお米がマフィンという形になり、そしてそれを、みんなが都会で食べることができている、ということを伝えられたらなと思いました。
人と人との繋がりですよね。
都会で玄米マフィンを食べてる人に伝えたいこととかありますか?(笑)
それは、「おいしいマフィンだからぜひ食べてください」ということだけ(笑) 都会の人に伝えたいこと…… 後継者が欲しいっすよね!
後継者問題はやはり深刻ですか?
まるで、じいさんばっかりだから。それか、大規模農家が社員として雇っている若手。本当にこれは、見ていて将来が不安になるぐらいの高齢化なんで。後を続ける人がねー、欲しい!(笑) ただ、楽しようと思ったらできないですね。結構何人も手伝わさせてくださいって言って来るけど、続かないもん。
それは体的にきついということですか?
気合いの問題でしょ。本気でやるかやらないかの。何をやってたって楽なことなんかないし、どこの道に行ったって茨の道なのは決まってるんだから(笑) ちゃんと気持ちを決めて来てくれないと。さっき言ってたみたいな、スローライフとか田舎暮らしみたいな、そういう甘い考えだと無理です。
スローじゃないってことですね。
スローじゃないし、周りとの関係性もあって、もちろん生活上のマナーもある。いろんなことが都会とも同じように起こるわけですよ。それでもこれをやりたいっていう気持ちがないと。いろいろあるけど、最初の扉だけ開けちゃえば、楽とは言わないけど、こんなに楽しくて、自分の好きに生きられて、ストレスフリーですなんて生活、手に入れることは、まあ、なかなかできない。特にお米っていっぱい時間があるんですよ。忙しい時期が決まっているから。5、6月と10月。兼業とのマッチングがめちゃいいわけです。年間作業日数なんてほんと… ほんと昼寝してますからね、ビール飲んで(笑) 岩崎、菅原(MUDO)、寺口で俺が一番働いてないぐらい。それはでも、お米でベースを作っているからです。お米だけで言えばそんなに忙しくない。ただ、スローではないのは、それ以外の家の修繕とか草刈とか、田舎暮らしにまつわるいろんなことがある。あるけど、でも半農半Xに一番ぴったりなのは、お米。
野菜だとそういった時間が取れない。
そう、毎日畑にいないといけない。だから俺が今作っているサイクルが、都会から入ってくるには一番いいと思う。特に今は米不足だから。
ヤーマンライスのホームページに、この生活を「実験」と書かれていましたけど、本当にサンプルみたいですね。
そうなんですよ。ちゃんと実績出してるんだけど(笑)
周りに都会からやって来た、似た生活の方はいらっしゃいますか?
ちらほらいますけど、あくまでも自給用というか、5反ぐらい。例えば、塾の先生やりながら5反を無農薬でやってます、という人もいる。そういう方もいるけど、もうちょっと百姓が若返っていかないと、本当に食い物なくなっちゃいますよ、この国から。一番いいのは、新規就農のための国の制度があって、5年間、補助金をもらえるんです、年に150万円。就農準備資金が2年、経営開始資金が3年。それで5年間やればいいんですよ。副業はもちろんしていいし、準備資金の方は年間研修時間が1200時間以上必要で、それをクリアすればよいので。その期間は、米と野菜の組み立てなんかは手伝ってあげられる。無農薬でやるんだったらこの野菜とこの野菜とか。あとは後見人みたいに、作業に使うこの機械を誰々が貸しますというように組み立てて、役所にそれを提出する。それをやっているうちに生活のベースを整えることができる。
ちなみに寺口さんが始められた時にも、そういった後見人のような方がいたんですか?
さっき話に出ていたバイト先だけど、そこは元々青果問屋の会長さんだった人が、有機農業をやっている所で。そこに野菜の配達とか、いろいろとバイトで手伝いに行ってたんですよ。青果問屋はすでに息子さんに譲っていて、「これからは有機農業だ!」って、おおぜい人を雇って、もう20年ぐらい無農薬野菜を大規模で運営している豪快なおじさんなんだけど、その人が機械を全部貸してくれて、後見人みたいになってくれた。
その方がいて、寺口さんがいて、その後にまた誰かがいるかもしれない。必ずしも血縁や家族じゃなくても、そういう継承ができるといいなと思いました。
農家の息子が農家を継ぐのは結構レアなケースになってきてる。親がやるなって言ってるぐらいだから、こんな仕事もうからないからって。だから私だけじゃなくて、日本全体の話として、農業界はあなたを求めています!(笑)